『運命の人』という連続TVドラマが放映されました。
原作となった同名の山崎豊子の小説が、いわゆる沖縄返還密約の存否に関する新聞記者の取材方法の是非が焦点となった、外務省機密漏えい事件を基にしたものであることは、周知の事実です。
先日、集会の席上で、このドラマについてコメントを求められたので、ドラマは見ていませんが、原作は読んでおり、また元となった事件は良く知っています、とお断りしたうえで、個人的見解を述べて参りましたので、以下に報告します(席上では結論を中心にもっと簡潔に述べています。)。
事件の概要は、次のとおりです(最高裁昭和53年5月31日判決文などより)
1 被告人(西山記者)は、既婚者である女性外務省職員を誘って酒食を共にした上、かなり強引に同女と肉体関係を持った。
2 後日、日米間の沖縄返還交渉に関する秘密文書の持出しを依頼して、以後十数回にわたり秘密文書の持出しをさせていた。
3 いわゆる沖縄返還協定が締結され、もはや取材の必要がなくなると、西山記者は同女に対する態度を急変して他人行儀となり、同女との関係も立消えなった。
4 西山記者は、一部の秘密文書について、その情報源が外務省内部の特定の者にあることが容易に判明するようなその写を社会党(現民主党)の横路孝弘議員に渡していた。
5 同議員がその写しを国会審議で使用したため、情報漏えいの事実及び情報を漏えいさせた女性職員が特定され、事件化された。
6 最高裁は、被告人の取材行為は、その手段・方法において法秩序全体の精神に照らし社会観念上、到底是認することのできない不相当なものであるから、正当な取材活動の範囲を逸脱している、として、西山記者は有罪となった(国家公務員の守秘義務違反の「そそのかし」)。
この事件は、憲法判例ではもっとも有名なもののひとつで、『報道機関の取材の自由』とその限界について、最高裁の判断が示されたものとして、高校の政治・経済の教科書にも登場します。
私は、この事件の背景に、事件当事者らの弱いもの、不利益を被るものに対する差別意識と、自らの地位、職業への特権的意識がみえると感じます。
つまり、「自分は沖縄返還交渉における日米間の密約の存否という、国家的事件の取材をしているジャーナリストである。」「その任務遂行のためなら、女性の人権をふみにじるような取材方法を取っても構わない。」という発想です。
そして、西山記者が、社会党(当時)の横路議員に秘密文書の写しを渡し、同議員がそれに基づき国会質問をしていた事実にも着目すべきです。
取材源を守らず、入手した文書を取材源が一目でわかる状態で、しかも中立公平であるべき立場を忘れそれを国会議員に手渡すジャーナリストと、それをそのまま国会審議で使用する野党議員に、弱いものに対する配慮や職業的良心は感じられず、自らの立場、職務に対するおごりを感じます。
そしてもう一つ、そもそもの議論として、沖縄返還時に日米間で巨額の金銭の支払いの密約があったとして、それをジャーナリズムが報じる価値はどこにあったのでしょうか。
当時の沖縄は、太平洋戦争の結果として、米国の統治下にあり、日本へ渡航するには、またその逆もパスポートが必要な状態でした。日本本土、そして沖縄の多くの人々が、沖縄の日本復帰を望んでいました。
そのために、金銭の支払いで済むのであれば、またその後の日本の経済成長を考えればますます、それは妥当な選択肢だったといえるのではないでしょうか。
そして国益の観点からみても、日本の領海の半分程度が、沖縄本島及びそれに付属する島々の領有によって得られているものであり、その経済的・戦略的重要性は計り知れません。
この事件は大きな社会問題となりました。西山記者が所属していた毎日新聞を含む一部マスコミは、密約を隠そうとする政府の思惑に乗ってはならない等と主張しました。
しかし国民の批判は強く、不買運動の結果、毎日新聞は一度倒産しました。私は、当時の国民の批判は正当なものだったと考えます。